(山形県小国町玉川と新潟県関川村沼を結ぶ)
大里峠        
 
 

I柄目木 茶屋跡

附近には湧き水が枯れることなく流れており茶屋としては最適の地であった。


D眼下の眺望

晴天の日、大里峠の頂上に立てば、正面に関川村と日本海、北方に粟島を望むことができる。

 

伊達稙宗がこの峠を開削したことによって、後に十三峠が成立することになる。

他の峠と同じ時期の嘉永元年(1848)に、この峠の越後側でも道普請を行い、1間の道幅を三間に広げ両脇に側溝をつけ、泥道になる所には、長さ四尺、厚さ五寸の石2360枚敷いたといわれ、今でも少し往時の石が見られる。
峠頂上の地蔵堂には大蛇伝説に基づく「大里大明神」が合祀されている。
山形と新潟の県境を越える古道で、玉川側はほぼ送電線に沿ったコースで頂上へ。

標高は478mで十三峠では宇津峠(491m)に次いで高い。沼側は小沢に小さな橋が架かる変化に富んだコースを下る。

A凶霊供養塔
安政2年6月玉川の宿屋、国仙屋七右エ門の世話で、越後の吉井屋兵右エ門の建立である。天明元(1781)年12月17日手倉沢にて雪崩が発生9名が亡くなった。73年後の前回と同じ日、嘉永7年12月17日再び雪崩で2名の犠牲者を出している。この地に不幸な人たちの霊を供養するため、この碑が建てられた。

C「助」跡地
伊藤久左エ門が三代に渡り宿屋兼茶屋を営んだところである。

藩からいくばくかの手当てを受け峠の通行で難儀をする人たち
を手当てし介抱してくれた。
伊藤久左エ門が三代に渡り宿屋
兼茶屋を営んだところである。(小峠頂上左折)

E地蔵堂 この社には地蔵さま、大里大明神、
       観音さまが祀られている。

享和絵図【享和2-3(1802-3)年作成、

 米沢市上杉博物館所蔵】

絵図【年代不明、高橋康氏所蔵】

 @庚申塔
庚申信仰は十干十二支(干支)
の庚申(かのえさる)に当たる日
に行われる信仰行事である
昔から男だけの祭りで、女人の
参加は禁じられていた。

 

C 

B 

A 

FGH 

I

E 

D 

十三峠の案内へ 

          正保絵図
【正保2(1645)年作成、市立米沢図書館所蔵】

B玉金鉱山跡地
大正8年創業。昭和
の初期頃まで優良な
金鉱が産出された。

 

大里峠越え交流
平成6年度から毎年10月に実施。大里峠の旧米沢街道の往時を偲ぶとともに周辺の豊かな自然を体験し、地域を守る各種事業の重要性を知るとともに関川村と小国町の交流を深めることを目的としてる。

 F観音さま

榎峠の頂上に祀られている観音様と兄弟であると言われている。

G大里大明神

峠の地蔵堂内には、大里大明神が合祀されている。大里大明神は古くから伝わる「大里峠の蛇体の伝説」に基づくものと思われる。

 H峠の地蔵さん

堂内には「峠の地蔵さん」が祭られている。現在は関川村で管理しているが、旧寄附面附帳によると玉川の有志によって建てられた。この地蔵は「災難除け」の宝珠を持って風雪に悩む人々を守ってくれた慈悲深い地蔵である。

峠の古絵図 
  
峠のポイントガイド 
    
峠の概要